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ピアッジオの歴史

ピアッジオの歴史は、創造性の物語、革新的な才能が生み出した数々の優れたプロダクトの物語です。

ピアッジオ工場

1882年 ~ ピアッジオ創立

Piaggio創立者 リナルド・ピアッジオ

ピアッジオ社は、1884年末ジェノヴァの工業地域のセストリ・ポネンテに、リナルド・ピアッジオ氏により設立されました。 ピアッジオは 造船業界のために木工工場を設立する計画でした。

1889年 ~ 鉄道事業

ピアッジオ鉄道

ピアッジオ社は鉄道事業にも参入し、フィナーレ・マリーナに新しい工場を確保しました。

1917年 ~ 航空産業

ピアッジオ航空機

ピアッジオ社では航空機の翼や機体の製造を開始しました。新しい工場用地を求め、リナルドはピザの会社を買い取り、 トスカーナ地方のポンテデーラにピアッジオの最初のルーツを根付かせたのです。

1937年 ~ 独自の製品開発

ピアッジオ鉄道 ピアッジオ鉄道

ポンテデーラの工場を購入後、ピアッジオ社はライセンス生産を離れ、独自の特許に基づくエンジンや車両の生産を開始しました。

ピアッジオでは、ケーブルカー、登山鉄道、トレーラー、路面電車、トラック、トロリーバスなど、輸送関連のものならば、あらゆるものの生産を開始したのです。

1938年 ~ VESPAプロジェクト始まる

エンリコ・ピアッジオ

リナルド・ピアッジオ氏の死去の後、息子のエンリコ・ピアッジオ氏が野心的なプロジェクトを開始しました。 シンプルでローコスト、使い方が簡単な車両を設計することにより、イタリアの人々にとって、 誰でも使える廉価な移動手段を供給することに貢献するというプロジェクトです。

このプロジェクトこそがVESPAを生みだすこととなります。

1945年・1946年 ~ VESPAの誕生

VESPA MP6

べスパの最初のプロトタイプは、ポンテデーラで製造されました。このプロジェクトを開発したのは、最初の近代的ヘリコプターの父であり、 優秀な航空エンジニアであるコラディーノ・ダスカニオでした。

プロトタイプを見て、エンリコ・ピアッジオはすっかりその虜になってしまいました。エンジン音を聞き、 狭い中央部分とテールに対してたっぷり幅の有るシートを見て、エンリコは「スズメバチみたいだ!」と叫びました。 そこで、「スズメバチ」、イタリア語で Vespa が名前になったのです。

4月24日には、フィレンツェで特許が登録されました。これは、「リア・マッドガードと組み合わせたフレームと 機械的部分を全てカバーするケース構造を持ち、合理的なパーツと要素から構成されるモーターサイクル」というもので、ついにベスパが登場したのです。

1948年 ~ Apeの生産開始・新型VESPA登場

新製品、アペ (ミツバチ) も直ぐに生産開始されました。戦後イタリアで荷物輸送の必要性を満たすための三輪自動車のアペにも、 ベスパでエンリコ・ピアッジオを興奮させた同じアプローチと哲学が採用されました。

Vespa 125

Vespa 125

そして同年、ピアッジオは新型ベスパを発表しました。1946年のオリジナルに忠実ですが、エンジン排気量は 125ccへと拡大されました。 後輪にはショックアブソーバが取り付けられ、快適な乗り心地を実現しました。

→ピアッジオの歴史 後編


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