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マロッシ社長 ウーゴ・マロッシ氏インタビュー

当店のスタッフによるマロッシ社長 ウーゴ・マロッシ氏との現地インタビューです。マロッシ社の話のみならず、大戦後のイタリア工業の状況まで幅広く語っていただいてます。

ウーゴ・マロッシ氏ウーゴ・マロッシ氏(以下マロッシ氏):では始めましょうか。何でも聞いてください。

まずは、先代社長の父上のことからお願いします。

マロッシ氏: 父は1905年にグラナローロ(ボローニャから数キロ北の村)で生まれた農家の9人兄弟の末っ子です。機械いじりが好きでボローニャ、ミラノで仕事を覚えてマセラーティに入りました。マロッシ社を興したのは25才の時でした。

9人!少子化の現在からは考えられないですね。

マロッシ氏: 畑仕事には人手が必要ですからね。当時は中学を終わるか終わらないかで職工に出て稼いで行ったのです。みんなで家計を助けるために。

ボローニャで働き出して、ミラノに行く・・・という事は、出稼ぎですね、より良い賃金を求めて都会に出て行くという。

マロッシ氏: あの時代はそういう地方の若者を受け入れる職場が無数にありましたからね。父はミラノで航空機のカプロー二社に入って経験を積んでいました。とにかく大変な活気だったようです。

やっぱり現場での経験が重要で、現場こそが学校なんです

マロッシ本社にて 父上がミラノにいらした頃は、航空産業と軍事産業が密接に関わり合っていた時代ですね。

マロッシ氏: 言わば当時の技術の最先端でしたからね。その時代時代の最先端技術を学ぶことはとても大事なことです。それを若い時に苦労して学んでいたのでしょう。

「マロッシ社のポリシーは?」とのアンケートには「常に向上を!」とありますが、このポリシーのルーツはお父上のミラノ時代にあるような気がします。お父上の時代は戦争のためにより良い飛行機を開発していましたが、現在の2輪業界に置き換えると「レースこそが戦争」であり、そこでしか学べないものがあるのでしょう。

マロッシ氏: マロッシなんか特にそうですね。バイクだけでなく、スクーターでレースを主催しているのも、そういう場での経験をフィ-ドバックさせる目的があります。そうするとまた勝てるんです。やっぱり現場での経験が重要で、現場こそが学校なんです。

 若いころから、現場で覚える、怒られる、自分でがんばるという繰り返し、それが伝統として受け継がれて行くのです。この地域はそれが特に凄い、2輪で言えばドカティ、マラグーティ、ミナレリ、モリーニなどが有名ですが、他にも消えて行ったメーカーは無数にあります。そう言ったメーカーを支える零細企業がまた凄いんです。

戦後、すぐに父上の会社に入られて、10年後に社長に就かれました。その後はちょうどイタリア高度成長期に重なります。「作るそばから売れた時代」ですが、当時のお話を聞かせてもらえますか?

マロッシ氏: 2輪はフレームとタイヤとエンジンでできていますが、そのそれぞれに専門メーカーとしての下請けが存在するのです。だからあの時代、鉄パイプを切ってフレームを作り、タイヤをはめて、モリーニかミナレッリのエンジンを積めばそれで売れた時代でした。

パーツ的な細かい話で言いますと、例えばエンジン、これはたくさんのパーツで構成されていますがその殆どが金属でできています。金属であり、非常な高熱と負荷がかかるエンジンに組む以上、何らかの処理をすることが絶対必要で、このボローニャ近郊の零細企業は高いレベルの金属処理技術を持っています。その恩恵でここボローニャにはこれだけのメーカーが存在するのです。

私は2才からバイクにまたがっていました

マロッシ本社にて この州は1990年代から日本の企業視察団が多数訪れているほど自動機械のメーカーが集結していますが、その中でもライバルながら同業者意識を持って競争しています。そして、そんな地盤から常に新企業が誕生してくるという活気がありますが、この活気の源は何でしょう?

マロッシ氏: ハングリー精神と戦後の貧困ですかね。あの頃の時代に腹をすかしていた者が自分で会社を起こして行きました。戦争に負けて、何も無く、あったのは空腹と貧困。土地を耕して芋や豆を食いながら近くの工場の職にありつく。それで、高度成長期が来てどうにか食えてくる。クルマもローンで買った、でもそんな生活だけに満足しなかった者たちが、何らかの技術的ひらめきと勇気と共に飛び出して行ったのです。

そして「ウチの工場が作るクルマの、ここをこうしたらもっと速くなるのでは」というのを試してみたくなる。バイクやクルマを移動や輸送の手段としてだけではなく、より速くするために改良や改造をして行く。その夢の実現のために様々な人達が会社を起こしていったのでしょう。

正にマロッシ社そのものですね。2輪パーツの製作と2輪の整備で財を築き上げた先代社長そのものです。

マロッシ氏: ただ、ここで一つ大事な事は、開発だけでなく2輪の修理もしていたというところでしょうね。まずはそれで収入がそこそこあって、お金が回って行くということです。「夢や情熱」だけでは食って行けない、安定した収入を得る、そのために父はバイクのレンタルもやっていました。今では考えられないですが、昔はバイク自体が高嶺の花だったんで充分収入源になったのです。

そんな父親を見ていれば、息子も当然メカ好きになりますね。

マロッシ氏: 私は2才からバイクにまたがっていましたし、息子のアンドレアはウチの工場で育ったようなものです。12才から現場で工員とチューニングしていましたよ。

鎖に繋がれたバイクをマロッシが解き放つのです

マロッシ本社にて (ここで設計部に移動、クランクシャフト強度計算のコンピューターシミュレーションを見せてもらう)バカげた質問に思えるでしょうが、こういったパーツを換えただけでパワーが変わるものなのですか?

マロッシ氏: 2輪メーカーの工場から出たままの製品には、まだまだイジれるところが山ほどあって、マロッシにはそれが何処で、どうすべきかのノウハウが蓄積されているのです。

こういう言い方をしていいのか疑問ですが、エンジンの隠れたパワーを引き出すのことこそメーカーの仕事ではないですか?

マロッシ氏: それが理想的な姿なのでしょうけど、メーカーとしては主に生産コストの問題でそうも行かないのが現状です。例えば、全部チタンにしたら軽くて強いけれど、コストがかかり過ぎるとか。また、保安基準、排気ガス規制、燃費対策、騒音対策、生産性や、製品投入期の営業判断など諸々の要因で、メーカー出荷時の2輪は言わば「鎖につながれた」状態なのです。それをマロッシのパーツが「解き放って」あげるのです。

しかし、そんなマロッシの姿勢はメーカーから見れば「違反改造」であり、面目が潰れるので面白くないのではないですか?

マロッシ氏: いいかげんな模倣品、危険なコピーだったら怒るでしょうね。実際この業界には無数のモノマネ屋がいますから。でもマロッシは意味のないパーツは作りませんし、一つの製品が生まれるまでの設計、テスト、品質管理には絶対の自信を持っています。メーカー名は伏せますが、日本のメーカーから正式な依頼で400ccスクーターのパワーアップキットを制作したこともありますし。

それでどのくらいアップしたのですか?

マロッシ氏: 13%くらいでしたか。こちらがその出力特性のグラフです。

これではまるで別のエンジンという感じですね。

マロッシ氏: メーカー名とモデル名は内緒ですけどね(笑)

信じるんだ!勝つ事を。信じなければ何も始まらない!

マロッシ本社にて 品質検査室、生産ライン、レーシングチームの整備室、ベンチテスト室と拝見させていただきましたが凄い投資をされていますね。この不景気な時に。品質検査室の装置、生産部の工作機械だけでもかなりなのに、新社屋の規模にも驚かされました。

マロッシ氏: いいものを作るには投資しませんとね。モノマネは簡単ですが、卑しくも人の命を預かるのですから「完璧」を求めなくてはなりません。

倉庫もとても広いですね。なぜあれほどの容積が必要なのでしょう?

マロッシ氏: マロッシは今まで4万点以上の種類のパーツを作りました。現在流通しているものだけでも1万3千点あります。それにしてもあの倉庫では大きすぎると思われるかも知れませんが、実はイタリア国内の個人ではないディーラーやパーツショップのためのストックをかなり見込んでいるのです。

ジャスト・イン・タイム態勢ですね。

マロッシ氏: ところがそうではないのです。マロッシとしては、ショップやディーラーに「パーツはストックを置いてください、絶対に必要です」と何度もお願いして来ました。マロッシがそれで儲かるということではなく、迅速なパーツの供給にはある程度のストックが必要なのです。

ところが、イタリア人はイタリア人なわけでして、ストックを置かずにユーザーからオーダーを受けてから、マロッシに「パーツ有る?すぐ送ってよ」と電話して来ます。これではパーツが売れる時期にショップに在庫が無くて、マロッシはビジネスチャンスを失いますし、何よりお客さんにご迷惑がかかります。言わば自衛手段としてあれだけの倉庫を確保したのです。

さすが、完璧主義のマロッシですね。最後にマロッシの「勝つ秘訣」をお聞かせください。

マロッシ氏: (コブシを振り上げて)信じるんだ!勝つ事を。信じなければ何も始まらない!

インタビューを終えて

友好的に会社の全てを見せてくれたマロッシ社長は実直にして快活な典型的なボローニャ人でした。そのホスピタリティーの心地よさに、話が脱線気味になってしまいましたがマロッシ社長のお話にはイタリア工業史の50年分は入っていたのではないかと思います。

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