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アプリリア

アプリリア社長 イヴァーノ・ベッジョ氏インタビュー

当店のスタッフがアプリリア社長(2004年2月当時)イヴァーノ・ベッジョ氏との現地インタビューを敢行してまいりました。アプリリアの歴史やレースへの意気込みなどについて語っていただいてます。

イヴァーノ・ベッジョ氏アプリリアと言えばやはりGPレースでの活躍が有名ですが、まずは会社創立の頃のお話を伺えますか?

イヴァーノ・ベッジョ氏(以下ベッジョ氏): 会社を興したのは私の父アルベルト・ベッジョで1950年代です。戦後の混乱期と言っていいかも知れませんね、とにかく人々のアシが無かった時代です。そこでフレームを作りタイヤをはめて自転車を作ったのです。まだクルマはもちろん、原付バイクでさえ庶民には手が出なかった頃です。

この当時の写真を見ると立派な量販店のようです。同時に販売も手がけたことによる資産が後のモーターバイク参入の基礎になったわけですね。

アプリリアの社名は当時のスーパーカーから

ベッジョ氏: 「自転車のスーパーマーケット」というキャッチフレーズで手広く商売をしました。農民の方がこの平野を移動するアシとして、自転車を、おカネを貯めて買っていたのです。自転車が何と言うか、富の、ささやかな幸せの象徴だった時代ですね。

アプリリアという社名ですが、なぜ「ベッジョ」としなかったのでしょう。

ベッジョ氏: アプリリアというのは当時のいわゆるスーパーカーだった、ランチャア(今はフィアット傘下)の最新型アプリリアから取りました。父はそのクルマに惚れていたのです。

他社のクルマ名を頂いて、ということですが許可というか、お伺いは立てたのですか。

ベッジョ氏: お伺いは・・・立てていませんね。あちらはその名前を四輪の名前として登録してあったので、二輪の、しかも自転車メーカーが名乗る事に法的問題は無かったと聞きました。

私はやはりバイクが好きで仕方なかったんです

アプリリア本社 ベッジョ氏が父上の後をついで社長に就かれたのが1968年、このころのイタリアは高度成長期と共に「戦後混乱期」から抜けて行く時期ですね。

ベッジョ氏: 68年といえばもう完全に高度成長期の真ん中でしたね。父はもう60歳近くなっており、私が引き継いだのです。

そしてほとんどすぐに、自転車主体からバイク主体に大変換しています。

ベッジョ氏: 私はやはりバイクが好きで仕方なかったんです。まずはレースにとにかく参加すること、そしてやっぱり勝ちたいわけです。

お父さんは何と言われました?

ベッジョ氏: 大反対でしたね、何度も意見が衝突して。でも私は絶対にレースをやりたかった。なんとかそんな路線で進めながら出来た最初のモデルが1970年のスカラベオ、これはモトクロスタイプですが、後のスクーターとしてのスカラベオの名前の初代モデルです。

社長に就かれる大分前からバイク参入の準備はなさってような感じですね。でも今になって考えると、あのまま自転車メーカーとしては行けなかったかも知れない、だからバイクへの転換は正解だったと。

ベッジョ氏: 経済が成長期に入ってくると、人々の関心は自転車からバイク、スクーターに移って行きました。それだけのものに手が出るようになったという事ですね。当時のアプリリアはある意味で「夢を売って行く」必要があったのです。

アプリリアロゴの由来

そのためには何よりもまず社長が夢を追う、というごとくに、1975年あたりから、レースに勝ち始めて行きます。

ベッジョ氏: 最初はモトクロスから、トライアルへと。こうした流れの中でレースをやりながらウチとしては大変な苦労だけれど、収穫もまたあるわけです。そうした経験を注入して1983年にST125という最初の公道モデルを出しました。これは革新的なバイクでした。同時にGPへの参加を睨んだ準備も怠り無く進め、85年にGP250でデビューします。その後の戦績はご存知でしょうが、今までで24タイトル取っています。

アプリリアというと、レース、そしてあの赤地に白のロゴが浮かんできますが、このロゴの由来はなんでしょう?

ベッジョ氏: やはり赤は古来から血の色、スポーツ精神、情熱のシンボルです。ウチはその真っ赤な地に真っ白という強烈な組み合わせにしたのです。ロゴは今までに何度か変わりました。モトクロス時代は三色でAの大きな文字と合わせました。GPレースに勝ち続けて来たこの現在のロゴは見る方達に強い印象を残したようですね。

スカラベオをブランドとして独立させることに

アプリリア本社 展示スペース先程、素晴らしい試験部を見せていただきました。何よりもまず品質第一という印象でした。スクーターのアトランティック新型の排気ガステストをしていましたが、アトランティックのコンセプトは何でしょう、やはりバイクのコンセプトとは違ってくると思いますが。

ベッジョ氏: アトランティックはエレガントなシティスクーターでありながら、ツーリングにも適している、そして飽きの来ないデザインだと言えます。

対してスカラベオはもう少し優しいというか、女性を意識していませんか?

ベッジョ氏: 仰る通り、正に女性にこそ乗っていただきたいデザインです。

スカラベオが出た当時、イタリアではとても売れましたね、どこに行ってもあのソフトグリーンが走っていました。イタリア人の印象としては、ほとんどベスパに匹敵しているというのが実感でしょう。

ベッジョ氏: 実は、スカラベオを新ブランドとして確立させることにしました。そのくらいイメージが浸透したように思いましたので。

レースのアプリリア、というカテゴリーには納められないからですね。すると今後はレースのイメージとは棲み分けて行くのでしょうか?

ベッジョ氏: やはり「スカラベオ・ワールド」という世界を構築していくつもりです。ご期待ください。

品質では絶対に日本のバイクには負けたくない

アプリリア本社 ショールーム最近の二輪市場の動向についてはいかがお考えですか?

ベッジョ氏: まあ、まずここ3年ほど状況は良くないですね。例えば1999年のアプリリアの生産台数は30万台でしたが、2001、2002年と連続で前年割れし、2003年は16万台です。そのうちスクーターが12万台を占め、75%がスクーターです。スクーターは常に伸びて来ました。ところが売り上げ比では、バイクが45%、スクーターが55%なんです。アプリリアとしてはバイクのほうが利益率が高いのですが、今後はもっとスクーターの数を出していく必要があるかも知れません。

ただ社長個人としては・・・

ベッジョ氏: やはりバイクが売れて欲しいですね。レースの結果がもろに売り上げに出ます。そのためにも勝たないと意味がありません。

アプリリアは、50ccスクーターはもちろん500ccビッグスクーターまで、バイクも50ccレプリカから1000ccまでのフルラインナップです。このあたりのこだわりは?

ベッジョ氏: アプリリアは、イタリアはもちろん、ヨーロッパのメーカーでも唯一フルレンジメーカーです。やはりお客さんのいかなる要望にもウチの製品でお応えしたいという気持ちがあります。

レースに勝つ、勝ち続ける秘訣とは何でしょう?

ベッジョ氏: 勝てる、という希望を捨てない事でしょうね、もっとも希望というものは毎回叶うわけでな無いですが、とにかく希望を持ち続けることです。

日本のユーザーにメッセージをお願いします。

ベッジョ氏: GPで世界チャンピオンになったビアッジもロッシも、アプリリアのライダーとしてレースに出て来ました。今は皆、日本メーカーの旗の下で走っていますが、アプリリアが彼等を育てたんだ、と誇りに思っています。そんなハイレベルのレースで得たノウハウをウチの全ての製品にフィードバックさせて今後もより良いバイク、スクーターをお届けして行きたいと思います。

レースでは時の運で日本のチームに勝ったり負けたりしますが・・・

ベッジョ氏: 品質では絶対に日本のバイクに負けたくないですね。

インタビューを終えて

上品で穏やかそうな第一印象のベッジョ氏ですがその二輪とレースへの情熱はさすがメーカートップの人でした。レースに没頭する一方で名門のMOTOGUZZIやLAVERDAを傘下に納めミラノ/ベネツィア軍団を構築したアプリリアは、大航海時代に列強国の間をその巧みな外交で切り抜けて独立を守った海上都市のように、いまだベネツィア人気質を強く持つメーカーだと感じました。

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