ベネリ社の歴史
我々がイタリア・ベネリ本社を訪れた際、残念ながらメーカートップのインタビューはできなかったのですが広報担当の方にベネリ社の歴史についてお話しを伺ってきました。以下はその要約です。
Benelli の誕生
ベネリ社は1911年に男ばかりの6人兄弟(ジュセッペ、ジョバンニ、フランチェスコ、フィリッポ、ドメニコ、トニーノ)を母体として誕生し、4輪・2輪の修理工場としての活動を開始しました。1920年には最初の単気筒、2ストローク、75ccのエンジンを生産し、後に98ccに改造されてベネリブランドの最初のバイクとして完成されます。当時、ベネリ社の業務に関わっていたのは、上から5兄弟で、一番下の若きトニーノは、ロードレーサーへのたぎる想いに身を焦がせていました。
レースでの躍進
1923年にトニーノは、125ccのバイクを駆り、モンツァグランプリでレーサーとしての才能を見せ付けるデビューを果たしました。初レースながら5位に入賞、それはその後のイタリアンチャンピオン年間タイトルを4回獲得する前ぶれでした。
1932年にレース中の大きな事故で、その輝かしいキャリアに終止符が打たれましたが、それでもバイクへの情熱を忘れなかったトニーノは1937年に交通事故であっけなく向こうの世界へ走り去ってしまいました。
大戦を挟んでベネリ社によるタイトルはメロールスが1939年、アンブロジーニが1950年、カルターズが1969年にツーリストクラスで優勝。そしてワールドチャンピオンシップも2回獲得しました。その頃はイタリアのペーザロ近郊のバイクメーカー(サーリエン、パゾリーニ、レアド等)に股がる名レーサー達が無数に居た時代でした。
1970年代に直列6気筒のエンジンを開発
1962年にはベネリ社と同族子会社のモトビー社は550人の従業員により、日産300台のバイクを生産していました。
60年代の終わり頃に日本の2輪が世界に進出し、この業界にかつてない不況をもたらしたにもかかわらず、ベネリ社は直列6気筒のエンジンを70年代に開発していました。しかし、その時期は会社経営に多大な悪影響が及んだ時期でもあり、生産はストップしてしまいます。
1989年にセルチ社傘下に吸収されますが、ベネリ社再生の道が本当に開かれるのは、1996年に地元の企業グループ・メルローニに買収された時で、新社長アンドレア・メルローニの元、わずか15ヶ月でスクーターの491を発表、その独創的デザインが話題となりました。
新体制によるベネリ社
新体制によるベネリ社はピアジオ、ホンダ、アプリリア等の群雄割拠する業界に足を踏み入れて行く事になります。モーターサイクルではトルネードを1995年に発表し、文字通り再生したベネリ社を強く印象づけました。そしてベネリ社は2輪での製品ラインを充実させ、また積極的に投資を行なって開発を続けていきます。
2000年春にベネリ社は、技術、営業の面で4輪界の名門、ルノー社と提携し、様々な協力を開始しました。スクーターの開発に於ける、車体の走行特性や制動機能の向上といった、安全性に関わる4輪のノウハウを2輪に適応させた新型スクーターの生産計画です。この計画は4輪界の不況により、見直されましたが、ルノー社との技術提携は今日でも続いています。
スクーターのBenelli Adivaは、折畳みルーフが付いた唯一のスクーターとして誕生しました。雨や風を避けて快適に乗れるスクーターでありながら、トランクにルーフが格納されるという、独特のコンセプトで開発されたオシャレなシティースクーターです。そのユニークさは世界各国で評価されています。
そして2004年にはニューモデル TNTを発表。その独創的なスタイルと存在感はドイツ ミュンヘンで行われた2輪イベント・Intermot2004でも注目され、これからのベネリ社への期待を集めるのに充分な姿でありました。
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